| 慶応2(1866)年1月21日 |


1月21日、京都・二本松の薩摩藩邸で薩摩藩と長州藩の首脳の秘密会談があり、差し迫る幕府の長州征伐において、薩摩藩が長州藩を支援する趣旨の軍事同盟を締結。文久2年以来、4年ぶりに和解した。
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1月20日に龍馬から長州藩の意向を伝え聞いた薩摩藩士・西郷隆盛は、長州へ帰国する準備を進めていた桂小五郎に京都へ留まるよう要請。翌21日に両藩の和解と軍事同盟成立に向けた首脳会議を開催することを提案した。
会議には薩摩代表として西郷と家老の小松帯刀、長州藩代表として桂が出席。土佐藩浪士の龍馬も立会人として同席した。両藩代表者は龍馬や土佐藩士・中岡慎太郎などから事前に同盟構想を聞いていたため、交渉は順調に進行。ついに6カ条からなる薩長軍事同盟が成立した。
薩摩藩と長州藩は勤皇倒幕の思想を共有していながら、政治的駆け引きで常に薩摩藩が長州藩を出し抜く形となっていたため関係が悪化していたが、龍馬や中岡らの強い働きかけが奏功してついに同盟を締結。今後は両藩が協力しながら倒幕という共通の目標に向けて動くことになる。
薩長同盟6カ条は以下の通り。
一、長州が幕府と戦になった場合、薩摩は京都と大坂を固める。
一、長州が勝った場合、薩摩は朝廷に対して長州の介添えを行う。
一、万一長州が負けた場合も、すぐに壊滅しないよう薩摩が力を尽くす。
一、戦にならなかった場合は、朝廷に冤罪を認めさせる。
一、いつまでも長州の立場が回復しない場合は、薩摩も幕府と決戦を行う。
一、両藩ともに皇国のもとにおいて、誠意をもって力を尽くす。







