| 慶応3(1867)年4月 |


土佐藩大監察・福岡藤次と後藤象二郎は4月初旬、土佐藩の外郭組織である海援隊の隊長に龍馬を任命した。また、龍馬と中岡慎太郎の脱藩罪も赦免した。
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福岡は前年10月に上京して薩摩藩・西郷隆盛らと交流を深める中、幕府の建て直しが困難な状況にあることを察知。以後、土佐藩の藩論を倒幕へ転換させるために動いていたが、先をいく薩長両藩と絆を深めるには龍馬とてを結ぶのが最善と考えたらしい。
一方の龍馬も社中が解散の危機に陥るなど経済的に厳しい状況に置かれ、土佐藩による支援は大歓迎であった。
海援隊は隊士22人と水夫ら合わせて総勢およそ50人。隊士の多くは土佐脱藩浪士で、ほかに紀州脱藩・陸奥陽之助や越後脱藩・白峰駿馬なども含まれている。定められた隊規によると、通常は営利目的として運輸業や開拓事業を営み、土佐藩に有事が起きた際は支援を行う。隊員の給料は土佐藩から支給されるが、隊の運営や行動判断はすべて隊長である龍馬に任されており、実質的に土佐藩が亀山社中のスポンサーになったものと考えてよさそうだ。







