| 文久2(1862)年10月 |


10月、龍馬と千葉重太郎は赤坂氷川町の邸宅に勝海舟を訪問。勝が世界情勢や西洋式軍艦の導入の必要性を説明すると、感銘を受けた龍馬はその場で弟子入りした。
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龍馬は「勝という奸物がいるので一緒に斬ろう」と持ちかけて来た千葉重太郎に同調し、軍艦操練所頭取を務める勝海舟を訪ねた。
勝は開国論者として志士たちに広く知られ、勤皇攘夷掲げる彼らにとって格好の標的となっていた。龍馬は松平春嶽から勝への招介状を受けていたため、勝の言い分を存分に聞いたうえで納得がいかなかった場合には斬ろうと心に決めていたよだ。
勝は幕府の要人だったが、屋敷の警備は恐ろしいほど甘く、2人はすぐに書斎へと通された。勝は「君たちは俺を斬りに来たのだな」と第一声を放つと、度肝を抜かれた2人に「斬る前にまぁ、俺の話を聞いてみな」と続け、自らの持論を展開。攘夷がいかに無為の思想であるかを丁寧に解説し、貿易と西洋式海軍の導入の重要性を説いた。
話を聞くうち、土佐滞在時に河田小龍から伝え聞いたことを想起。さらに、軍艦を購入して国を守るという夢のような考えを現実的にとらえ、実現に向けて方策練っている勝の人間性に惹かれ、その場で頭を下げて弟子入りを志願した。勝も龍馬の落ち着きぶりを見て「ただ者ではない」と感じ、即座に入門を認めた。
また、重太郎はそのやりとり目の当たりにして、呆気にとられていたようだ。







