酒匂川の松並木

酒匂川の堤防にある松並木は、13歳の時に子守の駄賃もらった二百文のお金で、売れ残っていた松の苗を譲ってもらい、治水のために堤防へ植えたのが始まりと言われている。

これらの松苗はやがて成長し、堤防に根を張って、堤防そのものが丈夫になった。そして今日もそのゆかりの松が残っているのである。

金次郎のあだ名

こうして堤防に松苗を植えた金次郎は、苗木の様子や、治水のことを考えて毎日のように堤防に向かっていた。この飽きもせずに土手に向かう姿を見た村人が「土手坊主」とあだ名したと言われている。

他にも、農作業をしながら大声で論語を諳んじていたりしていた為に、き印の金次郎と言われたりもした。

松苗

当時の堤防工事

今でも堤防は重要な物だが、この当時はさらに重要な生命線だった。堤防が切れると田畑や家屋が押し流され、豊かな田に戻るのに大変な労力を強いられることになる。

1792年に行なわれた岩流瀬堤(文命西堤)では270mの堤を築くのに、のべ170,000人が工事に駆り出された。

具体的な作業は「蛇籠(じゃかご)」と呼ばれる、竹や藤蔓などを編んだ中に川原石や砕石を詰めた物を、堤防の補強等に使った。これらの砂利は2人の人間が5日掛けて6m³を運ぶ重労働だった。これらの作業は農閑期である冬に行なわれた。