菜種栽培地跡
金次郎が伯父、万兵衛の家で世話になっていた頃、夜に油を使って読書をしていたことを叱られた。後日、一握りの菜種を借り受けて川縁で栽培をし、その年の終わりには袋一杯の菜種を収穫した。それを油屋に持って行き燈油に代えてもらい読書をしたと言う。
江戸の夜
百万都市、江戸で最も多く消費されているのが米で、その次が燈油だった。
製油技法の確立と行灯の登場で夜の時間が登場したのである。これによって油の消費量が跳ね上がることとなる。
江戸の消費量だけでも年間およそ6,050トンを消費。このためにしばしば油が切れることがあり、油断大敵という言葉ができたりした。他にも油を絞るのが大変な重労働であったことから油を絞るや、油の量り売りには時間が掛かることから油を売るという言葉が生まれた。

誤解だらけの火打石
当時の火を付けるのには、当然ライターなどは無く、火打ち石を使って火をおこしていた。当時の人々にとってはまさにライター感覚である。
しかし、この火打石の使い方を多くの人が誤解している。
多くの人が想像しているであろう、ふたつの火打石を叩くのは間違いで、「火打石」を「火打金(ひうちがね)」に擦りつけるように叩いて火花を出すのである。