8月に開催された大空出版「写真絵本の世界」展にて/撮影協力・ティールーム花
爆心地から約2km以内で被爆し、再び芽吹いた159本の木を広島市は「被爆樹木」に登録している
©すぎはらりえこ
vol.10
第6回「日本写真絵本大賞」金賞受賞者

すぎはらりえこさん インタビュー

「日本写真絵本大賞」で初めて写真家ではなく、
編集・執筆を本業とする作者が金賞を受賞。
戦後80年の節目の年に、被爆樹木をテーマにした
すぎはらりえこさんの作品が高く評価された。
すぎはらりえこ
1965年、広島県府中市に生まれる。作家・書家。原爆、戦争、震災を生き延びた木を撮影し、当時の記憶がある人々から話を聴き取り、後世に伝える執筆、講演を続けている。日本文藝家協会会員。主な著書に『小学館世界J文学館 北欧神話』(小学館)、『聖樹巡礼』(PHP研究所)、『古代ケルト 聖なる樹の教え』(実業之日本社)、近刊『物語のある花図鑑』(エクスナレッジ)など。2024年には『被爆樹巡礼』を原作とした演劇が劇団俳優座によって上演された。

戦火を生き延びた木を通して
ヒロシマを伝える

――故郷・広島には何歳までいらしたのですか?

すぎはら:高校卒業後に東京の大学に進学したので18歳までですね。私が生まれ育ったのは広島県の南東部にある府中市というところです。広島市内からは離れていますが、8月6日は登校日でしたし、原爆についてはしっかり教わったという記憶があります。両親ともに本が好きだったので、世界文学全集や絵本などが本棚にぎっしり。それを1冊ずつ読破していくのがすごく楽しかった。本を作る仕事がしたいと思い、大学卒業後は編集者になりました。約5年ほど編集制作会社に勤めた後、フリーランスのライター・編集者として活動し、30代前半に友人と一緒に会社を立ち上げました。大手出版社の仕事もたくさんさせていただいて、女性誌では日本文化や着物の連載ページを担当したり、旅行のガイドブックや美容系のムックなど一冊まるごと請け負ったり。版元の担当編集者さんやカメラマンさん、スタイリストさんたちとチームで取り組む仕事のスタイルが、私はとても好きでした。

――樹木をテーマにした制作活動を始めた経緯は?

すぎはら:体調を崩して仕事が続けられなくなり、会社も閉めることにしました。1年くらい静養していまして、いいお医者さんと出会って体調が回復した頃、巨樹やご神木巡りを始めました。昔から木に心惹かれて、いつか樹齢何百年何千年という大きな木に会いに行きたいと思っていたんです。命ある木と向き合い対話することで、生きる力を取り戻すことができたように思います。木と過ごした時間を形に残しておきたくて、写真を撮るようになりました。そのうち、全国の巨樹巡りをしていることを知った編集者さんからお話があり、有料のウェブマガジンで毎月2回『杉原梨江子の聖樹巡礼~巨樹が語る、森の知恵』というフォトエッセイを書かせていただきました。

写真講座や写真クラブに参加
ノウハウをゼロから学ぶ

――「被爆樹木」の存在を知ったのは、いつ、どんなきっかけで?

すぎはら:被爆2世の従兄が残してくれた歌で知りました。本川小学校の先生をしていた従兄が40歳の若さで癌で亡くなる前、平和の大切さを子どもたちと一緒に考えようと作ったものです。校庭に立つ木を題材に、「にわうるしって知ってるかい あの日のヒロシマ 土の中 空にむかって芽を出した」とあって、被爆後に芽吹いた木が歌詞になっていました。最後に会った時、「ヒロシマを繰り返しちゃあいけん、それを子どもたちに伝えたい」と語った言葉が今も私の背中を押し続けています。
2008年から被爆樹木を巡り始め、初めて木の下に立った時は、あの原爆から蘇って、こんなに力強い木になるのかと、烈しい生命力に心が震えました。広島城のユーカリです。木の魂を感じるというか、炎を避けようとのたうち回るような幹や枝ぶりをしていて、「私の姿を見よ! これが原爆だ!」と叫んでいるように見えました。それ以降、一樹一樹、写真を撮りながら巡り、木のそばで生きてこられた被爆者の方々にお話を聴かせていただくようになりました。
広島取材と並行して、フォトエッセイで毎年8月に被爆樹木を紹介していたら、編集者さんが「これは絶対に本にすべき」と言ってくださって。その後は東京の仕事をしながら年に数回、帰省した時に取材を重ねて、戦後70年の2015年に『被爆樹巡礼~原爆から蘇ったヒロシマの木と証言者の記憶』(実業之日本社)を上梓することができました。

原爆にも屈せず力強く生きる
被爆樹木の姿に心が震えました

――撮影のスキルは、どのようにして習得されましたか?

すぎはら:最初は小さなデジカメで撮っていましたが、木を撮るのは難しくて、やっぱり独学では無理だなと。キヤノンが開催する写真講座に通って、撮影のノウハウをゼロから学びました。修了後は担当講師だったプロの写真家さんが顧問を務める写真クラブに入会。とにかく上手い人たちばかりで、講評会や写真展に参加して刺激を受けながら、スキルを磨いていきました。

傷を負った被爆樹木の写真に
彼らの心の声を添えて

――なぜ、「日本写真絵本大賞」に応募しようと思ったのですか?

すぎはら:自著を出版してから毎年のように公立図書館や学校で写真パネル展示や講演会を開催させていただいていますが、10年たっても広島県以外では被爆樹木についてほとんど周知されていない。自分の力不足を痛感していた時に、ネットで「日本写真絵本大賞」を知りました。原爆と聞くと怖い、暗いと避けてしまう人が多いという実感もあって、そういう人にも小さな子どもたちにも、写真絵本なら手に取ってもらえるのではと期待が膨らみました。
応募作品の制作に当たっては、たくさんあるストックの中から、樹皮に焼けただれた火傷痕がある木、幹が大きく折れ曲がった木、中が空洞になっている木など原爆による傷痕を残して、何かを訴えかけているような被爆樹木の写真をセレクト。そこに短く簡潔な言葉で、樹々たちからのメッセージを書き添えました。でも写真に関してはアマチュアですし、金賞をいただけるなんて夢にも思わなかった。知らせがあった時は、何かの間違いじゃないかと疑ったほどです(笑)

7月19日に行われた第6回「日本写真絵本大賞」授賞式の会場で

――今後の目標を教えてください。

すぎはら:講演会に参加した小学生の男の子たちが「被爆樹木巡りしたよ」「原爆の本のコーナーにも行くようになったよ」と教えてくれたことがありました。本当にうれしかったです。そんなふうに一人でも多くの人たちに被爆樹木を知っていただき、原爆の恐ろしさや戦争の悲惨さ、平和の大切さを考えるきっかけになるような活動を続けていくつもりです。2017年から始めた長崎の被爆樹木の取材も進んでいまして、こちらも必ず形にしたいと思います。

文・菅原悦子 撮影・関 眞砂子

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    ※フリーペーパーは、弊社主催の写真展の会場で配布のほか、作品応募者に送付されました。
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